結局はラブでしょ

140字のつづき

とんでもなく甘い気象予報 

(まずはじめに。「わたし」に関することは事実ですが、「嵐」に関することは記憶が定かでなかったり、妄想も含まれてるかもしれないし、信じないでください。こんなふうに思う人もいたのね、ぐらいでお願いします。なんで興味がなくなったかの話ではありません。それが分かるなら私も知りたい。これは好きだった話です。特にオチはないので要注意です。)

 

 

このタイミングで降りたというと「休止だからね」とか言われるんだけど。休止じゃなくても同じ判断をしてたと思うし仮にそれが理由なら最後まで応援し続けてました。明確な何かがあって「嫌いになった!もう担降りする!」みたいなのではなく、2年ほどかけでじわじわと…。だから余計に理由なんてハッキリしないよね。

 

ていうかそもそも「降りた」というのが好きではない。人が言ってるのは嫌じゃないけどわたしが「降りた」というのが嫌なのだ。理由はうまく文にできないのでへぇ〜〜って思っといてください。

わたし、嵐を好きになるまでまったくアイドルやジャニーズに興味なかったの。でもbelieveを歌う姿を偶然テレビで見て目が離せなくなって、そこからもう毎日嵐嵐嵐嵐でした。当時はYouTubeもゆるゆるだったのでライブ映像もメイキングもたくさんあって、親のパソコンでめちゃくちゃみた。(Oneのレコーディングが一番覚えてる)歌もダンスも器用にこなす大野くんを好きになった。どうも私は歌とダンスが上手な人を好きになる傾向がある。単純だ。

そこから約10年、ず〜っと好きでした。現場へ足を運べるようになったのは後半5年だけだったけど。ぜんっぜん当たらないから何のためにファンクラブに入ってるのと何度思ったことか。それでもただ好きという理由で更新し続けた。CDやDVDは必ずフラゲ、その日はバイトもいれなかった。当落日は前日から緊張したし、テレビはワイドショーから番宣、ドラマ、歌番組、全部録画した。忘れたら吐き気がした。CMも録画して全部まとめたら何十分にもなった。(それを一度親に消されてブチギレた。それも合わせたらもっと長かったんだけどな)雑誌も買った。無料のリーフレットも集めた。とにかく好きで、どの一瞬も逃したくなかった。

好きで好きでたまらなかった。いつも5人でいてくれることに、どんなにトップでも国民的でも、内側に向けた気遣いを忘れない5人が好きだった。どんなに会えなくても、たった1回がすごく嬉しかったら他に目もくれなかった。

自分の中のピークは2014〜2016年だったと思う。雑誌の切り抜きと録画の量が桁違い。現場に行けるようになって、バイトして自由にお金が使えるようになって、好きが加速した。今思えばすごく自分中心だね。

このピークがなんで右下がりになったのか。ひとつの大きな理由としては、2016年にハロプロに出会ったこと。2017年にキンキとふぉ〜ゆ〜を知ったこと。他を知ったことが大きかったと思う。でもまだ当たり前に嵐がいちばんだった。嵐に会えるならほかの3つは、お茶の間でよかった。っといってもお茶の間ができるのはキンキぐらい(笑)そのころ自分でも落ち着いてきたなと自覚があった。好きな度合いは同じなんだけど、冷静になったというか。でも必要以上に苦しむ必要もなくなったし(嵐基準のスケジュールでなくなり、当落に吐き気がすることもなくなって、HDの容量に余裕ができた)お金が減らなくなったし、自分的にはこのスタイルがちょうどいいと思ってた。

 

2017年に出したアルバムの最後の一曲に11分超えの長い曲がある。(サブスク解禁されたので聞いてみてください)ファンならこれまでの嵐を振り返ってることなんてすぐ分かる。いつもなら聴き込むアルバム。でも私はその曲だけは繰り返して聞けなかった。簡単に再生ボタンを押せなかった。とても不安になるから。

 

 

「どこまでも どこまでも 旅は続いていく

大海原に 描いた夢を 君に見せるその瞬間まで」 

 

どういうつもりの歌詞か知らないけど、当時私はTwitterに「終わりが見えてるの?」と呟いた。なんと大正解!!こんな憶測当たらなくていいんだけどな。大野くんが嵐に区切りをつけたいと相談したのは2017年、つまりこのアルバムを打ち合わせていた頃には本人たちの中ではもう既に活動休止が視野に入っていた。まだ休止なのか、解散なのか、ほかの選択肢なのかは決まってなかったとしても、いつか終わりが来ることを考え始めた時期なんだと思う。

 

 

だから近いうちに解散するもんだと勝手に思ってた。20年、やりきったので解散しますだと思ってた。

 

だから意外だった。活動休止の決断が。

今思えばその頃から「5人で嵐」をよく口にして主張していたなと思う。でもまあその前からよく言ってたし、冗談でも誰かを嵐に入れるなんてごめんな人たちだった。5人は約束を守ってくれた。これからも進み続けること、5人でいること。守ったからこその決断だったんだと思いたい。ただの憶測だけどこの5という数字が嵐を強くし、大野くんを苦しめたのかなあ。活動休止会見で明るい衣装を着て登場し、終始明るく努めた。誰一人大野くんを責めない姿勢を見て惚れた。「もしリーダーが悪者に見えるならそれは我々の力不足」と言った二宮くんに惚れた。無責任なのでは?の質問に鋭い目をしながらも「これからの我々をみて判断してほしい」と相手に判断を委ねた翔くんに惚れた。誰も傷つけない優しさに震えた。

 

私は想像がつかない。レギュラー番組以外でも、歌番組、CMなどテレビで毎日のように見てる人たちが居なくなる生活が。

 

ここからは活動休止のきっかけになった人物、わたしの元自担大野くんの話をしたいと思う。

個人のラジオが終わった時に「あ、本人の希望だろうな」となんとなく思った。当時はなにも言わなかったし、ラジオの改編期に伴ってという感じで流された。最後の曲はずっと一緒だったディレクターさんが選んでくれたソロ曲「Hit  the floor」だったな、なんて思い出す。2013年発売のアルバム「LOVE」に入ってるんだけどやばいから聞いてほしい。活動休止発表があったあと、ラジオのパーソナリティかディレクターの誰かがTwitterで「大野さんの希望」であったことが明かされた。やっぱりそうだった。どういう風に本人に話がいったのか、そもそも本人発信なのか分からないけど。続けない選択をしたのだ。大好きな絵も釣りも、途中から仕事になった。大好きだからラジオでいっぱい話してくれたんだと思う。海に落ちて携帯が水没した話を教えてくれたり、今描いてる油絵の女の子にメガネ描くかどうか相談してくれたり。(大野くんのラジオは「僕のファンの子」に向けて感が強かったなと今になって思うなあ。)でもそれがひとつ、またひとつと人間大野智を奪ったのかななんて思う。とても苦しくなる。ラジオ終了からわりとすぐ映画「忍びの国」を終え、そこから個人仕事がパタリとなくなった。今思えばこれも本人の希望だったのかな。あのとき忍びの国をめちゃくちゃ必死に追いかけて見て良かった。最後になるなんて思ってもなかったよ。

今まで雑誌のインタビューや作品集のコメントでいい言葉だな、と思ったりすることはたくさんあったんだけど。全く覚えてなくて。でもただ一つ覚えてるのは15周年のときのハワイでのVS嵐。お酒を飲みながらプールのそばで号泣しながら言ったのが「こんなに恵まれてていいのかな」という言葉。嵐は、自分たちの大きさを知っている、と思っている。自分達の影響力を知っている。でも決して、それに酔いしれてるわけでも浮き足立ってるわけでもなく。とても客観的に。冷静に。知っている。宮城で復興コンサートをした理由もそれのひとつだと思っている。そんな人が、こんなに恵まれてていいのな、って言った。自分は「恵まれている」のであり、決して自分だけの結果ではなく周りあっての自分と思ってるんだろうなとその言葉から感じた。違ったらごめんなさい(笑)ああ〜〜大好きだ〜〜と思ったのを明確に覚えている。

 

 

 

絶対一生好きだと思ってたのにな。自分って信用ならないな。まさかこんなブログを書くなんて2年前思ってもなかったもん。

 

 

 

 

そりゃあ降りてからの嵐を見てたら色々思うことあるし半分愚痴じゃんそれっていうのがでてきますよ。でもそれをここに書く意味も必要もないと思ってます。悪いのは私だから。好きになったのも降りたのも結局は私の都合だから。変わったのは嵐ではなく、対象外になってしまった私です。

 

 

 

 

初めて買ったアルバムやDVD、

振り込み用紙に「これほんまに書く欄あってるんか?」と思いながらギチギチに記入して入った初めてのファンクラブ、

震えるように嬉しかった当選の文字、

人生初めてのコンサート、

無理して行った宮城(次の日学校行った)

厳選した雑誌の数々に、

細かく編集しまくったWS、

作ったけど持っただけで終わったうちわ、

最後の最後にアリーナに入れたあの景色、

 

 

 

 

ぜ〜〜〜んぶとっておきの思い出!!

 

 

 

 

 

 

 

"5" is my treasure number

 

 

まずは大きな感謝の言葉を。

 

 

 

 

残りの11ヶ月、5人が悔いなく過ごせますように。5人の未来が明るくありますように。